世界中の"i"に生き続けるjobs
今日、私が世界で2番目に尊敬している人が亡くなった。
訃報を聞いたとき、何故か身内が亡くなったかのような気持ちになった。
僕の生活はAppleに溢れている。
作業部屋にはMacintosh Plus、Macintosh ClassicⅡ、iMac G3、PowerMac G4 cube、PowerMac G5。
寝室ではiPod 5G、MacBook Pro。
普段の持ち歩きにMacBook Air、iPad2、iPod nano。
ここ数年、いつも愛用のMacBook Pro (Early 2008)に向かって世界を眺めてきた。
この窓を通して何度も何度もjobsのkeynoteを見た。
jobsが魔法のようなモノを持って誇らしげにステージに立つ度に、世界中の人と一緒に歓喜した。
特に、最近はjobsへの注目が高まっていた気がする。
2008年の8月終わり、シンガポールのオーチャードロードにある高島屋、その中に入ってる紀伊国屋でInside Steve's Brainを買った。
まだ日本訳版のスティーブ・ジョブズの流儀が販売される随分前、その原書を英語教員に貸したことがある。
1週間程経ったあと、小さな付箋紙と一緒に本が返ってきた。
「非常に興味深かったです。ありがとう。」
そして1週間もしないうちに、その教員は携帯をiPhoneに替え、授業で使っていたラジカセをiPod Touchとポータブルスピーカーに替えた。
そういえば、高専入学時の国語の課題は、The Perfect Thing: How the iPod Shuffles Commerce, Culture, and Coolnessの訳書「iPodは何を変えたのか?」を元に何か書いた気がする。(原書も持っている)
僕も魅了された一人だけど、jobsには世界中の人々を魅了するオーラがあった。
実際はjobsのスタイルや生み出したものこそがjobsのオーラなんだろうけど。
Appleが嫌いな人は信者だとか宗教だとか言うけど、本当にAppleはそういうものなんじゃないかなって思う。
jobsが居なくなった今、jobsが神格化されるだの何だの言われてるけど、jobsは死ぬ前から神みたいな存在だった気がする。
魔法のようなデバイスを持って登壇するjobsを今か今かとMacの前で待ち続ける様は、さながら神のありがたい言葉を待つかのようだった。
jobsが言葉を発したとき、その聞き取りやすく優しい英語は世界中のユーザーの心をくすぐり、発売日にApple Storeの前に長蛇の列を作らせる。
そんなjobsに僕たちはメロメロだったんだろう。
jobsは終わりなき旅に出てしまった。
でも、jobsの魂は世界中に散らばったiの中に生き続ける。
今日も明日も明後日も。
僕たちの生活の中に溢れる沢山のAppleが僕や世界中の人々の生活を豊かにしてくれるから。
ありがとうjobs、やすらかにお休みください。
追伸:逝くの早すぎ。この世はinnovateしつくしたって?ふざけんなよ。「しまった!早すぎた!」と後悔するくらいに俺たちがinnovateしてやるから。指くわえて見てろよjobs!

